10月31日に母が亡くなりました。
73歳でした。
母の病気のことは以前にもちょっと書いたことがありましたが(退院)、4年前に心肺停止で病院に運ばれて退院した後も決して体調は万全ではなく、今年の5月にまた自宅で倒れ、長い期間ICUで治療を受けたり手術があったりと苦しい闘病生活を送っていました。それでも一時はやや回復して別の病院に転院して療養を続けていたのですが、10月に入ってからまた病状が悪化し、31日に息を引き取りました。
この4年余りの間、母にとっては大変つらい時間だったと思います。その間に父も亡くなり、自分のしたいことも思うようにできず、入退院や手術を繰り返し、私らの少しでも長生きしてほしいという願いも母にとっては重荷でしかなかったのかもしれません。度々母の口から聞いた弱音は非常に心苦しく、母が入院している間、ほぼ毎日のように病院に通っていても、見るのはいつも切なそうな顔ばかりで、この数ヶ月で笑顔を見ることは何度もありませんでした。
しかし、息を引き取った母はそれまでの苦しそうな顔が嘘のように穏やかな表情をしていました。脈が止まっても体に埋め込まれたペースメーカーは動き続け、機械が一定のリズムで心拍のカーブを描いているのを見ると、それはまるでただ眠っているだけなんじゃないかと思うほどでした。母を自宅に連れて帰り、納棺までの身支度をしてもらってる間もそれは変わらず、髪を洗ってもらっている時は美容室で気持ちよくなってついウトウトしてしまっている、そんな感じでした。長く苦しい闘病から開放され、やっと楽になれたのでしょうか。
母親が亡くなるのはもちろんうれしいことではないんですが、これでもし母が楽になれたのならば母にとっては・・・・なんて風にも思います。
私としてはできれば孫たちの卒業や成人、結婚など、人生の節目を見届けてほしかったのですけれど・・・・。
2年前、父の葬儀の日は雨が降っていました。
亡くなる直前まで体の悪い母の心配ばかりしていた父でしたから、母を残して自分が先立つことになってしまった父の無念が天気に現れたのかな、なんてその時は思ったのですが、母の葬儀の日は雲一つない澄み渡った秋晴れでした。
記事の最初に載せた写真は斎場から撮ったものです。
病から開放され楽になれた母の気持ちが現れたのか、あるいは先立った父や母の兄弟たちが母を迎えるために晴れにしてくれたのか、何か不思議なものを感じました。
私ら遺族の心までこの空のように澄み渡るにはまだしばらく時間がかかりそうですが、今は天で母が父や兄弟たちと久しぶりの再会をよろこんでくれていることを願うばかりです。