エール

昨日、ふとしたきっかけである空冷VW乗りの方のブログに辿り着いた。

私はその方と面識はないし、恐らくその方も私のことなど知らないと思う。

共通項は空冷VWに乗っていること。ただそれだけ。

そこで今回初めて私と向いてる方向が近いと思われる空冷VW乗りの方の言葉を目にすることができました。

私は日常的に空冷VWオーナーさんのブログやVWショップのHPなどを見たりしていますが、ほとんどはそれについて触れることはなく、少なからず意思表示している方も私の考えとはほぼ真逆。そしてそれはネットで見るだけでなくリアルでも同様で、比較的考えが近いかなと思われる方はせいぜい1人か2人。 TwitterではVW関係の方以外にもそっち方面の方を多くフォローしているので自分の考えがマイノリティだと感じることはあまりないんですが、VW関係という枠の中ではアウェー感たっぷりです。そもそも空冷VWという枠で括るのもおかしな話なんですが仕事以外の交友関係がそれに偏ってしまっているのでそこはまぁ仕方がないところ。いや、全てのVWオーナーがそうというわけではないですよ、きっと。あくまでも知る限りでは、ということです。

でもその方は違いました。

自分の考えがマイノリティであることを自覚した上で、リスクを避けることによって生じる別のリスクも承知の上で、それでも子供を守るために全てを捨てる覚悟で立ち向かっていました。

色々な事情によって残念ながらVWは降りてしまうようですが、降りることは本意ではないとしても、あの頃のようにあれもこれもと欲張ることはできず、どこかで天秤にかけたり取捨選択したり妥協をしたりということをせざるを得ない状況でのその判断は、その方にとって決してネガティヴなことばかりではなく、愛する娘さんの健康が蝕まれるリスクに比べたらむしろポジティヴとも受け取れます。

恐らく私より過酷な状況に置かれている中でのその方の発する言葉に、私は少しだけ勇気をもらいました。

このブログを見ることはないかもしれないけれど、そっと心の中でその方にエールを送ります。

この先の未来

先日、久しぶりに子供の昔の写真を見返しました。

上の子が産まれた頃はまだフィルムのコンパクトカメラしかなく、その頃のは現像した写真をスキャンしてたためにそんなに枚数いっぱいはなかったのが、仕事を始めてデジカメを持つようになってからは一気に枚数も増え、毎年けっこーな枚数を撮るようになっていきました。

フィルムカメラの頃は無尽蔵にシャッターを切るわけにいかないので1枚を大事にしていたのが、デジカメになってからはそれこそ何でもアリとばかりに撮りまくって、あとで見ると何でこんなの撮ったんだろうと思うような写真も多かったりするのですが、ポーズやスマイルをキメた写真も、ピンボケや目をつぶっちゃった写真も、どちらも家族の記録としては大切な思い出で、1枚に込める気持ちウンヌンの是非はともかくとして、デジカメの手軽さは家族にとっては大きなメリットになっているのではないかと思っています。

やがて下の子も産まれ、保育園に入って、卒園して、小学校に入って、卒業して、中学校に入って・・・・と、気付けば上の子はもう13歳になっちゃってるわけですが、その間には公園や遊園地、海に山にイベントにといろんなトコに遊びに行き、誕生日やクリスマスがあったり、運動会や文化祭があったり、はたまたどーでもいい日常があったりして、そしてそれぞれに笑っている顔、怒ってる顔、泣いてる顔、ふてくされている顔、寝顔、ヘン顔と様々な顔があります。今ではヨメさんの身長を追い越す勢いの息子も保育園の頃は正にお子ちゃまで、今ではアニキに食ってかかる勢いの娘も産まれた頃はそんなお子ちゃまのアニキに抱っこされてたりして、時の流れと子供たちの成長を感じます。

それらの写真を見ていたら・・・・・昔を振り返って微笑ましい気持ちになるのと同時に、これから彼らが生きていく未来への不安を抱かずにはいられません。

公園の芝生に寝転がったり、海で泳いだり、土煙舞うグラウンドで走ったり、肉や魚や野菜を食べたり、ホンの1年前までは何の不安もなく普通に過ごしてきた普通の事が普通ではなくなってしまった今、そして未来。家族で食卓を囲み笑ってご飯を食べている彼らのその笑顔はこの先も笑顔でいられるのだろうか。その笑顔を守るために親として何ができるのか、何をすべきなのか。

あれから間もなく1年が経とうとしています。去年の夏頃まではたまにしか見る事のなかったそれと疑われる話も暮れあたりからは毎日のように見るようになりました。もちろん因果関係の証明はできないし全てをそれと決めつけてもいないのだけれど、チェルノブイリのその後を見ればそれが3年後なのか5年後なのか10年後なのかわからないけれど少なからず日本でも同じことは起きうるだろうと思うし、場合によってはチェルノブイリの比ではないかもしれない。そして世の中を観察しているともうすぐ1年という今の段階でもういろいろと手遅れになってる感が強い。

そんな世界でこの先の未来を生きることになってしまった子供たち。

せめて自分の子供だけでも守りたい。全ての親御さんがそう願えば結果として多くの子供が助かります。
社会全体がその方向に向ってくれることを切に願います。

放射能汚染による格付け

こちらは「食品と暮らしの安全」で公開されていた放射能汚染による格付けマップ(画像クリックで拡大します)

マップの信憑性や妥当性について私は判断できませんけど、これによれば新潟県平野部は黄色の「危険性が生じることがまれにある」という格付け。

「まれにある」ってのがどの程度なのかなんとも微妙なんですが、やはりある程度は気をつけていないとヤバいよ、ってことなんでしょう。

ここ数日で福島第一原発2号機の温度が上がってるとか、ホウ酸注入されてるってことは再臨界かも?とか言われ始め、さっきもTwitterで柏で微量のキセノンが検出されたなんてツイートがあったりして、野田さんが冷温停止状態なんてアホな宣言しても危機的状況には何も変わりはなく、事故から1年近くが経っても継続的に防衛していくことが必要なんだと思います。

民間借り上げ住宅停止要請を見直し

昨日のニュースで、福島県が県内からの避難者を受け入れている都道府県に対して、民間賃貸住宅借り上げ制度の新規受入れを12月末で打ち切るように要請していた件について、福島県知事はこれを見直す考えを示したとのこと。

知事、停止要請を見直し 県外の民間借り上げ住宅新規受け入れ |福島民報

記事によれば福島県には100件以上の苦情が寄せられたとのことで、これは正に民意が行政を動かしたということです。twitter上でも多くの反対意見が流れていましたしね。ホントによかったです。

いや、人道的にはそもそもこのタイミングで打ち切り要請なんてするもんじゃないと思いますけど・・・・。

 

そしてこの打ち切り要請については新潟県からも再検討するように求めていたそうです。

東日本大震災:避難者の住宅新規借り上げ打ち切り 福島県に再検討要請 /新潟 – 毎日jp(毎日新聞)

新潟がこういうスタンスであるというのは県民としてもうれしい。

新潟県の泉田知事はガレキ処理についても以前に「原発内で発生すれば放射性廃棄物という扱いになるものが、(外だと)それよりも緩い基準で放射性廃棄物ではなくなる。そんな仕組みで住民の理解が得られるのか」と述べていて、当たり前のことを当たり前に言える知事がいるのは心強いです。

不安だけど・・・・

ヨメさんや子供とも話し合って、ウチではしばらく東日本の牛乳を子供に飲ませるのは控えることにしました。

えぇ、牛乳好きの娘は大ブーイングですよ。

しかし、不安を抱えたまま飲ませ続けて何年後かに取り返しのつかない後悔をしたくはないので、先日の粉ミルクの件で牛乳の他、食品全般への検査や規制値が今後は見直されていくであろうと期待して、安心して飲食できるまで牛乳以外も含めて懸念があるものについては控えていきます。

ただ、困るのが学校給食。
給食には牛乳がお約束です。

原発事故以降、給食に対して不安を感じているお父さんお母さんがたくさんいらっしゃいます。学校に検査をするように求めたり、給食をやめて弁当を持たせたり、牛乳は飲まないようにさせたりと苦労されているようですが、それに対する学校や行政の対応は必ずしも親御さんが安心できるものではなかったりして、「牛乳を飲まないヤツは福島県民じゃない!」と子供を叱責した先生がいたなんてヒドい話もありましたよね。

私の周りで放射能についてワーワー騒いでいるなんて人はほとんどいなくて(もしかしたら思ってるけど声には出さないって人もいるかもしれないけど少なくとも私は把握してません)、周りから見たら私はすっかり変人扱いになってると思います。新潟は測定されている線量がそれほど高くないこともあって全体的にはそんなに危機感ない印象なんです。

そんな状況の中で、私自身が文句言われるのは全然構わないんですけど、「牛乳飲みません」というスタンスを子供にとらせるのは親として正直ツラい。

先生が何と言うかわかりませんが、もしかしたら「この子の親、アホじゃね?」とか思われて子供への接し方が変わるかもしれないし、他の子供たちがウチの子をイジメの対象にするかもしれない。それでなくとも周りから浮くような行動を親のエゴ(もちろん子供の事を考えてのことだが)で子供に強いるというのは不憫でなりません。

なので・・・・・不本意ながら学校給食についてはこれまで通りにして、家庭での被曝防衛に努めようと現時点では思っています。