大阪試験焼却時のPM2.5濃度推移

昨日、29日から大阪で試験焼却が行われてしまいました。

大気汚染物質広域監視システム「そらまめ君」でPM2.5(微小粒子状物質)の測定地図を見てみると・・・・・

 

▲2012年11月23日 09:00

試験焼却開始の6日前。16~25μg/m3を示す黄色が何ヵ所かありますが、他は際立って高いところはない様子。

 

▲2012年11月28日 09:00

試験焼却前日。26~35μg/m3を示すオレンジが見られますが、23日と比べて大きな変化は見られない様子。

 

▲2012年11月29日 09:00

試験焼却開始時間。なぜかすでにオレンジと36μg/m3以上を示す赤が目立ち始めてます。兵庫や京都にもオレンジの地点があります。

 

▲2012年11月29日 12:00

試験焼却開始3時間後。明らかにオレンジ・赤が増えてます。

 

▲2012年11月29日 18:00

試験焼却開始から9時間。ついに青~緑が一つもなくなってしまいました。

 

▲2012年11月30日 12:00

試験焼却開始から27時間。恐らくこの頃試験焼却は終了してるはず。これまでの間に多少の上下を繰り返していました。

 

▲2012年11月30日 19:00

そしてこれがこの記事を書いてる時点での最新、試験焼却終了7時間後の状況。見事にオレンジ~赤の地点がなくなりました。

 

一口にPM2.5と言っても物質が何かまではここからはわかりません。

放射性物質なのか、重金属なのか、その他の有害物質なのか、まったく健康に害のないものなのか・・・・・。

ただ、ここまでわかりやすい変化を見せつけられると、物質が何であれ原因は大阪の試験焼却である可能性は極めて高いと言えるのではないでしょうか。

また、驚くのはその影響を受けた範囲。東は三重県、西は兵庫県、北は京都府の日本海側まで及んでいます。

27時間かけて100トンの試験焼却でこれですから、本焼却3万6000トンではどれだけ影響が及ぶのか・・・・想像がつきません。

 

新潟では大阪の状況がイマイチよく把握できないのですが、大阪府民であっても試験焼却が行われているのを知らない人がいるとか、マスクしてない人が多いとか、そんなウワサもチラホラ入ってきてました。

試験焼却の前にはガレキからこれまでの大阪の平均の4倍ものアスベストが見つかっています(それでも基準値以下ではあるそうですが)。 詳細は⇒大阪市、アスベストを含むがれきを試験焼却 | WONDERFUL WORLD

 

さて、試験焼却の結果、どんなデータが示されるのでしょうか・・・・。

マジで止めないとヤバいと思います。

今度は塩化水素・・・・

 

今朝の日報でも新潟市の試験焼却中止の記事がありました。

で、その隣に新田清掃センターで基準値超の塩化水素が検出されたという記事。

は??塩化水素???そんなん初めて聞いたんすけどっ????

しかも基準越えが判明したのは今月の18日と20日の2回。
日程調整の結果、地元への説明が26日になって、市民に公表されたのが昨日。

検出から地元説明まで時間かかり過ぎてるし、亀田の試験焼却予定日にそんな大事な発表ぶつけてくるってどーゆーこと!?

鉛・水銀に続いて塩化水素。

新田清掃センター、どないなっとんねん!

もう瓦礫ウンヌン抜きにしても焼却施設として問題あり過ぎじゃんっ!!

 

ちなみに塩化水素とは。

名前を聞いた時点であんまりカラダに良さそうな気はしませんが、基準が設けられているだけあって人が吸い込むと死に至る毒物で、常温常圧時では気体、水溶液の場合は塩酸と呼ばれます。Twitter情報によれば、塩化水素は塩化ビニール等を焼却した時に発生し、ダイオキシンと発生原理は同じだそうです。

 

そんなもん、漏れていいわけないじゃんっ!

 

そしてこの塩化水素が排ガスから漏れてたってことは、環境省がセシウム99.99%除去と豪語していたバグフィルターが充分機能していないことを自ら証明したようなもの。

 

塩素と水素の化合物も取れないんじゃセシウムもストロンチウムもプルトニウムも取れるわけないじゃんっ!

 

そこらの芸人よりネタが豊富(ただし笑えない)な新田清掃センターはもう操業停止にした方がいいんじゃないでしょうか。

塩化水素出たの知ってて試験焼却しようとしてたんですから恐ろしい話です。

一夜明けて

長い地道な戦いの末に勝ち取った昨夜の試験焼却中止。

あれからTwitter上では喜びや感激の声がたくさん流れ、あらためてアクション起こしてくれた市民の皆さんに感謝する思いです。

 

が、しかし、

一方で試験焼却に反対した方々を非難する声もチラホラ。

「被災地のために広域処理は必要」
「困っているなら助け合うべき」
「反対してる人は自分さえよければいいのか」
「瓦礫は検査されていて安全なのになぜ拒む」

中にはもっと汚い言葉もあったし、今回だけじゃなく、今までだって何度も何度も言われました。

でも、それらの声を批判はしません。

瓦礫焼却に賛成の方も被災地の力になりたいという想いからの言葉でしょうから。

 

ただ、

瓦礫焼却賛成の方も、反対の方がなぜあれほどまでに必死で反対するのかを知ってほしい。

放射性物質は安全なのか。
チェルノブイリ原発事故で起きたこと。
焼却施設に潜む問題。
広域処理によって何が起ころうとしてるのか。
瓦礫焼却に絡む利権。
被災地の現状と本当に望んでいる事。

賛成してる方が不勉強だとは言いません。

でも、上辺のキレイ事で賛成と言うのではなく、それらの問題を知り、遠い未来も考えた上で判断してほしいんです。

それらを知った上で賛成と言うならそれは個人の判断で誰にも文句を言われる筋合いはないし、反対の人とも単に非難や罵倒だけの議論よりよっぽど建設的な話ができると思います。

福島第一原発事故以降、ぼんやりとした曖昧な不安の中で過ごしていた私も参加した説明会や抗議行動でネットだけではわからなかった多くの事を知りました。

だから賛成の人もできるだけ多くの真実を知ってほしい。

なぜ、地元のおじいちゃんが命を張ってトラックの前に座り込んだのかを。

 

先日の亀田での市民主催説明会で司会のマリオさんが教えてくれました。

かつて建設を巡って地域を二分した巻原発。もし計画通りに建設されていたらちょうど今年1号機軽水炉が運転開始になる予定だったそうです。

原子炉設置許可申請が出されたのが1982年1月。今から30年も前のことです。当時、私はその話があることは知っていたし反対運動があることも知ってはいましたが子供だった私にとっては完全に他人事。大人になってから地元の方から「あの時は町が真っ二つに分かれてすさまじい対立をしていた」という話を聞いた程度です。

福島第一原発事故を経験した今ならもちろん巻原発にも反対ですが、あの頃に地元の方々が反対していなかったら我々新潟市民は今よりもっと核の恐怖にさらされることとなっていたはず。今ごろになって反対してくれた事に感謝するのも図々しい話ですが、当時戦ってくれた方々にはありがとうとしか言えません。

 

では、今を生きる我々はどうか。

数年後、数十年後、子供たちに「ありがとう」と言われるのか、「なぜあの時反対してくれなかったのか」と言われるのか。

いや、私は別に子供から感謝してもらいたいなんて思ってません。病気になることもなく彼らの人生を謳歌してくれればそれだけで満足です。

そのためには何をするべきか。

考える日々はまだ続きそうです。

戦いの成果

まずは結果報告から。

明日27日に亀田清掃センターで、29日に新田清掃センターで予定されていた新潟市の震災瓦礫試験焼却は中止になりました。瓦礫の搬入も中止です。

今日の中止発表が一時的なものなのか、恒久的なものなのか、微妙さを残してはいますが、恐らく明日には篠田市長から何らかの発表があるかと思います。

 

・・・・・亀田から帰ってきた今でも夢じゃないかという気がしてなりません。

今日は昼間から市民有志のみなさんがなんとか試験焼却を中止させようと市役所や県庁を駆け回ってくれたのに篠田市長は相変わらず逃げ回って交渉のテーブルにつくことすらしてくれない中、夕方からは亀田清掃センター搬入口前で最後の抵抗。私もいても経ってもいられずに亀田に向いました。

正直、試験焼却の中止はムリだろうという諦めはありました。搬入口でも結局「最後の悪あがき」で終わり、北九州のように強行突破されるのだろうと思ってました。亀田に足を運んだ方々の中にもそういう想いがあった方もいらっしゃったかもしれません。

でもみんな必死でした。新潟を、農業を、子供たちを守ろうと必死に戦いました。冷たい雨の降る中寒さに耐えて必死に戦いました。瓦礫の入ったコンテナを積んだトラックの前に座り込んでいた地元のおじいちゃんは、2年前に大病を患い一度命を失いかけた自分は今日は死ぬ覚悟で来たとおっしゃっていました。必死故に時に声を荒げ、騒然となるシーンもしょっちゅうだったけど、暴力は一切ナシで戦いました。度々チェックするTwitterでも来れなかった皆さんがたくさんエールを送ってくれていました。

そして、みなさんの粘り強い交渉の結果、今回の試験焼却中止という副市長の言葉を引き出すことができました。

市役所前で声を上げていた頃はまだ暑かったのに、あれからすっかり季節は変わりました。あの頃からずっとこうなることを夢見ていたのに、いざ現実になるとやっぱりまだ夢を見ているよう。

でも、我々は勝った。

もしかしたら搬入口まで来たトラックを引き返させたのは新潟が初めてかもしれない。

これは大きな一歩だと思う。

篠田市長から正式な発表があるまで予断を許しませんが、今日のこの出来事は長岡・三条・柏崎・新発田の残り4市、そして既に受け入れている・受け入れようとしている他県にも大きな影響を与えるはず。

市民の力で瓦礫は止まる!!

今回の成果を得たのは亀田・新田両センター周辺自治会のみなさんの力が大きかったそうです。アクションを起こしてくださった地元のみなさん、ありがとうございます。

それと同時に、なかなか情報が行き届いていなかった自治会や私のような一般市民にも一生懸命情報発信し、問題提起してくださった市民有志のみなさんの多大なる尽力があってこそだったのも、これらの運動に参加したみんなは知っています。

一人一人の力は小さくても、みんなで団結すれば大きな力になる。そしてその力は動かないと思っていた大きな岩を動かした。

有志のみなさん、本当にありがとうございます。

私は有志のみなさんが用意したステージの端っこにちょこんとオマケ程度に乗っかるくらいしかできなかったけど、みなさんと少しでも関われたことは私にとって今後の大きな財産となります。

 

そして・・・・・

もちろん、新潟が止まったからってそれで終わりじゃありません。残り4市も絶対に止めなきゃいけないし、この流れを全国へ広がる大きな流れにしなきゃいけない。瓦礫以外でも亀田・新田では鉛や水銀の問題もまだ解決していない。それに、大槌町を始めとして本当に被災地復興の一助になる支援もしていかなければならない。

今日はゴールではなく、やっとスタートラインに立てただけ。

これからもがんばりましょう。

 

汚染焼却灰の行方

先日の市民主催説明会で講演していただいた山本節子さんのブログ。

地方へ向かう汚染焼却灰 | WONDERFUL WORLD

 

3.11以前からゴミ焼却灰の捨て場所がない都心部ではそれを地方に押し付けるということをやってきました。

そして今は自分が出した放射性物質焼却灰を地方に押し付けている。

瓦礫は燃やすけど出た灰は受け入れないって?

「被災地のために」という大義は立派だが、やってる事は中途半端で無責任。

結局泣きを見るのは経済的弱者である地方。

首都圏で使う電気のために、原発事故のリスクや使用済み核燃料を地方に押し付けてるのと構図は一緒。

これが「絆」ですか?

 

関東圏の中でも極めて汚染が深刻な千葉県柏市は普通の一般ゴミでも相当な放射性物質が出る。

燃やせば灰に濃縮されるし、一部はPM2.5となって大気に放出され地元住民の体内に入る。

放射性物質を含むゴミの焼却は地元にも地方にも何一ついいことなんてない。

 

新潟も同じことが起こる。

今回、新潟5市で受け入れようとしている瓦礫で生じた焼却灰は地元の処分場に埋め立てられる予定だが、一度汚染灰を受け入れれば他県の灰も受け入れるための実績にされかねない。

 

福島から新潟に避難されている方々はこれをされたらどう思うか?

これが新潟の避難者に対する「絆」なんですか?