刻々と過ぎる日々の中で様々なことが起こり、思うこと、言いたいこと、いろいろあったりするのだけれど、自分の発言が人を楽しくさせたり有益な情報だったりする一方で、また別の人にとっては不愉快だったり不利益な情報だったりもすることもあったりして、そんな事を考えると何か一言つぶやくにも言葉を選んで思うような表現ができない。
表情や感情の見えないインターネットではなおのこと。
自分で正しいと思っていることが、他人にとっても正解だとは限らない。
逆もまた然り。
例えば、
福島第一原発事故が起こった直後からTwitterでは「できるだけ西に逃げろ!」とツイートしていた人がたくさんいて、具体的な疎開の受け入れ先や避難経路のアドバイスもあったりして、実際に西へ避難した方にとってはTwitterでのそういった発言は非常に役に立っただろうし勇気を与えたかもしれない。しかしその一方で「不安をあおるな!」とそれらのツイートに不快感や敵意を持って攻撃していた人も大勢いた。
例えば、
事故の後、福島県産の農作物を積極的に食して福島を応援しようという発言が多く見られたが、それは逆に放射能汚染された食品を拡散させることになると反発した人もいた。
どちらが正しいかを判断するのは結局受け手の判断になる。
いや、受け手が数ある情報の中から自分で取捨選択していらないものはスルーしてくれるのであればそれほど問題ではないのだけれど、自分の価値観と違うものに牙をむく方が最近は多くて、そういうのを相手してるのは非常に疲れるし自分自身も凹む。
時には自分の大切な人を傷付けてしまうこともあるし。
だから言葉を選んで、かえって思うような言葉が見つからなかったりする。
誤解を招きたくないなら黙っているのが一番なのか。
悪者になりたくないなら黙っているのが一番なのか。
最近はそんなことを考えながらブログ書いてます。
言葉って難しいですね。
SNSにおいてもそうなんですが、基本クルマ関連の楽しそうと思われる話題しか書かない僕ですら、読み手の反応に様々な思惑が垣間見えたりして困惑してしまいます。
受け取り方は様々ですからね。
だから言葉でも気持でも適度にスルーできるスキルが必要なのかもしれません。