今日は広島の原爆の日。先日の旅行で広島訪問を果たしたこともあり、今年は何だか前と少し違う気持ちです。
最近はWikiに飽き足らず動画でも第二次世界大戦や原爆投下について見聞きしていて、先日の原爆資料館での生々しい展示も見て、ついこの間はテレビで「この世界の片隅で」を見たりして、戦争や原爆の恐ろしさ、悲惨さ、悲しみ、憎しみ、愚かさ等々に想いをはせてはみるのですが、実際に体験をされた方々のようなリアリティには遠く及びません。
しかし確実にわかるのは「二度と同じ過ちは繰り返してはならない」ということ。
原爆で〇万人の方が亡くなった、〇〇海戦で〇万人が玉砕した、資料等を見聞きしてるとそういう大きな数字が並ぶことが多いのですが、その中の一人ひとりにそれぞれの人生があり、家族や友人がいて、〇万人が亡くなった1つの戦争ではなく、戦争である一人が亡くなった悲しみ×〇万人×その遺族、なんだと私は思っています。「この世界の片隅で」では主人公である女性の半生が描かれていますが、大なり小なり彼女と同じような悲しみを味わされた人が膨大な数いるわけで、その膨大な悲しみを思うとどれだけ想いをはせても足りないくらいです。
もちろん戦勝国である連合軍側だって同じこと。戦争には勝ってもその勝利は多くの方の命が失われた結果。勝ったから良し、とはなりません。勝っても負けても多くの悲しみが残ります。
そう思えば、やはり二度と戦争なんてしちゃいけないし、この世界から核兵器なんてなくすべきだと強く思います。
話は変わって、最近は日韓関係が悪化の一途です。韓国だけでなく中国や東南アジア諸国なども第二次世界大戦では悲しい歴史を辿り、その過去から様々な想いがあり、悲しい過去をなかったことにはできないし、70年以上経ったからといって忘れられるものでもありません。反日感情が根強いのも仕方がないことなのかもしれません。
日本は広島と長崎に原爆を投下され、その他にも東京などの都市に無差別の大空襲も受け、多くの無抵抗の民間人が殺されました。今の価値観でも当時の価値観でもこれらの行為は戦争犯罪と言えると思います。しかし日本は戦後結ばれたサンフランシスコ講和条約によってそれらの賠償請求権を放棄してしまったので今はもう賠償を求めることも責任を問うこともできません。賠償を日本に求める声も少なからずありますが、日本人の多くは戦争の責任や賠償よりも、あの悲劇を二度と繰り返さないということの方を強く望んでいるのではないでしょうか。
ご存命の方が少なくなる一方の原爆被災者の方々は思い出したくもない過去を新しい世代に語り、かつて自分を苦しめた当事者であるアメリカまで行って原爆の悲惨さや核廃絶を訴えています。
過去の過ちを変えることはできないけど、これからの未来を変えることはできる。
日韓関係はお花畑なキレイ事だけで片付く話じゃないことは重々承知しています。しかしその上で、悲しい過去はあったけど、これから先は悲劇を繰り返さないように双方が歩み寄り、いがみ合うのではなく助け合っていく、そんな未来志向の想いがベースにあると、もっといい関係に発展していけるんじゃないかと私は思います。
日韓関係だけじゃないですね。米中の貿易戦争、緊迫する中東情勢、世界中に蔓延しつつあるヘイトクライム等々、様々な諸問題全てにおいて欠けているのは平和な世界を目指す未来的思考じゃないでしょうか。
唯一の被爆国である日本こそ、そういう想いを発信するリーダーシップになりうるのではないかと思いますが、我々日本国民もそんなリーダーシップを発揮してくれるであろうリーダーを選ぶように選挙でもしっかり見極めていかないといけませんね。