12月10日、ノルウェー・オスロでのノーベル平和賞授賞式で国際NGO「核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)」と共に核兵器禁止条約の採択への活動を行ってきたサーロー節子さんがスピーチを行いました。
私は肉声をちょっとしか聴いていないのですが、文字だけでもサーロー節子さんの核廃絶への強い想いがとても伝わってくるし、核がもたらす悲しみ・怒り・憎しみ・絶望・無力感・非人道性・・・等々、頭では理解していたはずの当り前のことを改めて突き付けられたような気がしました。
この件で新聞では記事とスピーチ全文が掲載されていましたが、テレビのニュースではあまり触れられていないように思います。ICANのノーベル平和賞受賞が決まった時もそうでしたよね。核の傘に守られている日本はこの話を大々的に国民に知られたくはないのです。もちろん核保有国は授賞式を欠席しています。
河野外務大臣は11日に「日本政府のアプローチとは異なるが核廃絶というゴールは共有している」と談話を出しました。この言葉に多くの方は空々しい建前と思ったのでは。少なくとも私はそう思いました。核廃絶へのアプローチは複数あってもいいでしょう。本当にゴールが共有できているなら。しかしICANや核兵器禁止条約と歩調を合わせない必要は本来ないはず。むしろ日本がイニシアチブを取って進めていってもいいくらいなのに。
戦後72年経って被爆者の多くはご高齢で、サーロー節子さんも85歳です。あと10年も経てば原爆の原体験を語れる方はほとんどいなくなってしまいます。写真や文献でも核兵器の恐ろしさは知ることができますが、サーロー節子さんのスピーチのように魂からの叫びに勝るものはありません。今回のスピーチで被爆者の声が世界に発信されたことは歓迎されることではありますが、個人だけでなく被爆国として国を挙げて核廃絶を訴え、核保有国との橋渡しとなって世界的な舵取りをしてほしい、そう願います。
核とは少し話がズレますが、北朝鮮による拉致被害者・曽我ひとみさんの夫、チャールズ・ジェンキンスさんと、増元るみ子さんの母・信子さんが相次いでお亡くなりになりました。核廃絶と同様に拉致被害者の帰国も一向に進んでいません。拉致被害者家族もご高齢ですので、帰国・再会を果たせないまま旅立っていく家族が今後も続くかもしれません。
これは勝手な憶測ですが、この国の政府は原爆被爆者も拉致被害者も亡くなるのを待っているような気がしてなりません。亡くなってしまえば問題への声は小さくなっていく。いつか「そんなこともあったね」と国民の記憶が風化していくのを待っている・・・というのは考え過ぎでしょうか。
だからこそ、今を生きる我々世代が語り継いでいかなければ、と考えさせられました。