少し前に某SNSで見かけた投稿で
「戦わずして死ぬくらいなら戦って死んだ方がいい」
みたいなのがありました。
まったく面識のない方なのでどういう思考の持ち主かは知りませんが、安保法案に賛成する意見・・・・と言うより、文面からは安保法案に反対してるヤツはけしからん、みたいな感じだったと思います。さらにそれに同調するようなレスもありました。
安保法案に賛成か反対かは個々の考えなのでどちらでも構わないのですが、この方はどうも個別的自衛権と集団的自衛権を混同しているみたいで、安保法案に反対してる人たちがまるで個別的自衛権まで放棄しろと言ってるように勘違いされているのかもしれません。
当然、今回の安保法案で問題となっているのは集団的自衛権の方で、安保法案に反対してる人たちは集団的自衛権の行使容認に反対してるのであって、個別的自衛権にまで反対してるわけではありません。
日本が直接他国に攻撃された際に自衛のために応戦するのが個別的自衛権。
日本の同盟国(例えばアメリカ)が攻撃された際に自国への攻撃と同義として応戦に参加するのが集団的自衛権。
ざっくりと言えばこの違い。微妙な違いのようでいて大きな違い。ここを勘違いしていては安保法案について正しい判断はできません。
安部総理は「丁寧に説明する」とニコニコ動画に出てたりしますけど、意外とまだよくわかってない人は多いのかもしれませんね。
戦後70年となる今年、私たちは今一度戦争についてよく考える必要があります。
「戦わずして死ぬくらいなら戦って死んだ方がいい」という考えもわからなくはありません。私ももし自分の家族が危険に晒されることがあるなら銃を持つかもしれません。しかし私の家族を狙う敵国の兵士にも家族がいて、どちらが死んでもそこには悲しみしか残りません。70年前、勝戦国となったアメリカの中にも家族を失って悲しみに暮れた遺族がたくさんいます。戦争は勝ち負けじゃない。どっちにしても殺し合いで、どっちにも正義はないんです。
一番大切なことは「戦争にならないように努力すること」
日本は戦争を放棄し、それを9条に掲げました。
最低限、自衛のための戦力は保持するとしても、自ら戦う意思がないことを宣言している国に対して攻撃するというのは国際的に非常に高いハードルで、それを行った国は世界中から非難され孤立するという大きなリスクを負います。9条をお花畑のように言う人もいますが、これって核ミサイルに匹敵するくらい強力な武器だと思うんですよね。
それを例外的に同盟国と共に攻撃に参加する可能性が出てきたとなれば、9条という大きな武器を無効化するくらい対外的には印象が変わるはずです。
仮にアメリカと東アジアの大国との緊張が高まれば、そのアメリカの戦力の一部となる日本が先に狙われるのは容易に推測できます。日本が直接攻撃された場合は個別的自衛権で対応できますが、攻撃されてもいないのに集団的自衛権の行使を認めることで自ら攻撃対象となる必要などどこにもないのです。
そして一度戦争が始まってしまえば先の大戦と同じ運命。まず自衛隊が戦闘に参加し、兵力が足りなくなれば徴兵制です。戦争の真っ只中に徴兵制反対!なんて叫んでも無駄。命令に背けば政府に殺され、命令に従えば兵となって相手を殺すか自分が殺されるか。それを実体験として経験してきた高齢者が口を揃えて「戦争は二度としてはいけない」と言うのです。
SNSで投稿してた方はそこまで想像しているでしょうか。戦争になれば自ら銃を持ち敵兵を殺すのでしょうか。自分の子どもが出兵し戦死するのも容認するのでしょうか。
「戦って死ぬくらいなら死ぬ気で戦いを避けた方がいい」
私はそう思います。
だから安保法案には反対です。