なんのために生まれて
なにをして生きるのか
こたえられないなんて
そんなのはいやだ!
先月13日に漫画家のやなせたかしさんが亡くなられました。
やなせさんの訃報が伝えられてから、生前やなせさんが作品に込めた思いや残した言葉などにあらためて見聞きすることになったのですが、その多くは「命を大切にする気持ち」だったり「人を思いやる優しさ」だったり、常に子どもたちにとって大切にしてほしい想いが込められていたように思います。
冒頭に書いたのはやなせさんの代表作、アンパンマンのテーマの歌詞。誰もが一度は聴いたことありますよね。作詞はやなせさんご自身です。
ご本人による言葉ではなくあくまでも「説」ですが、ネットではこの歌詞が太平洋戦争で特攻隊に志願し、若くして亡くなった弟さんを想って書かれたのではないかという解釈がありました。
そう言われればそうとも取れるし、読み手によって受け止め方は様々でしょう。
やなせさんが亡くなられた頃、私の母の体調はかなり悪くなっていたこともあって、私の中であのアンパンマンのマーチの一節は深く重くのしかかっていました。
私にとって、母にとって、
なんのために生まれて
なにをして生きるのか
アンパンマンは「こたえられないのはいやだ」と言ってますが・・・・・、私にはまだ答えられないです。
母に聞いたら答えてくれたのでしょうか。
東日本大震災では多くの方が亡くなり、先日の伊豆大島の災害でも多くの方が亡くなり、震災や災害じゃなくても毎日新しい命が生まれるのと同じように一つの命が消えていきます。全体から見れば一人の死は日常であって特別なことではありませんが、本人や関わる人々にとっては大切で大きな命で、それぞれに「なんのために生まれて なにをして生きるのか」があるのだと思います。
私も、いつかは答えられるようになるのでしょうか。
男としての先輩である父と違い、私という生命を生んだ母体である母が亡くなったことで、そんなことをより強く考えさせられました。
いわゆる、『悟りを開く』と、そういうのが分かってくるのかもしれませんが、私も『これだ』って答えが何なのか考えると、よく分からないですが、お坊さんの説教や神主さん達の話などを聞いてると自分なりの答えも出てくるのかなぁと思ったりもしますが、熱心な仏教徒でもないので・・・・(^_^;)
その時、その場所、人によって全ての感じ方、捉え方がバラバラだから、この世を『幻』と仮定して、正しく生きることは難しいが楽しく生きることはできる、非情になるのではなく、受け止め方を変えることで、少し、肩の荷を下ろし、心に余裕を持つことが悟りへ導くのだそうですが、その余裕が現代には不足してるのかもしれませんね。
幸か不幸かここ数年でお坊さんのお言葉を聴く機会が増え、その度にいろいろ考えさせられますね。
あまり難しく考えずに、実際毎日そんなこと考えてもいませんが、余裕を持って世の中を見ればわかってくることもあるのかもしれません。
気を抜くと子どもたちが危険にさらされる現代では毎日がいっぱいいっぱいで余裕持てなかったりするんですけどね・・・・。