先日、久しぶりに子供の昔の写真を見返しました。
上の子が産まれた頃はまだフィルムのコンパクトカメラしかなく、その頃のは現像した写真をスキャンしてたためにそんなに枚数いっぱいはなかったのが、仕事を始めてデジカメを持つようになってからは一気に枚数も増え、毎年けっこーな枚数を撮るようになっていきました。
フィルムカメラの頃は無尽蔵にシャッターを切るわけにいかないので1枚を大事にしていたのが、デジカメになってからはそれこそ何でもアリとばかりに撮りまくって、あとで見ると何でこんなの撮ったんだろうと思うような写真も多かったりするのですが、ポーズやスマイルをキメた写真も、ピンボケや目をつぶっちゃった写真も、どちらも家族の記録としては大切な思い出で、1枚に込める気持ちウンヌンの是非はともかくとして、デジカメの手軽さは家族にとっては大きなメリットになっているのではないかと思っています。
やがて下の子も産まれ、保育園に入って、卒園して、小学校に入って、卒業して、中学校に入って・・・・と、気付けば上の子はもう13歳になっちゃってるわけですが、その間には公園や遊園地、海に山にイベントにといろんなトコに遊びに行き、誕生日やクリスマスがあったり、運動会や文化祭があったり、はたまたどーでもいい日常があったりして、そしてそれぞれに笑っている顔、怒ってる顔、泣いてる顔、ふてくされている顔、寝顔、ヘン顔と様々な顔があります。今ではヨメさんの身長を追い越す勢いの息子も保育園の頃は正にお子ちゃまで、今ではアニキに食ってかかる勢いの娘も産まれた頃はそんなお子ちゃまのアニキに抱っこされてたりして、時の流れと子供たちの成長を感じます。
それらの写真を見ていたら・・・・・昔を振り返って微笑ましい気持ちになるのと同時に、これから彼らが生きていく未来への不安を抱かずにはいられません。
公園の芝生に寝転がったり、海で泳いだり、土煙舞うグラウンドで走ったり、肉や魚や野菜を食べたり、ホンの1年前までは何の不安もなく普通に過ごしてきた普通の事が普通ではなくなってしまった今、そして未来。家族で食卓を囲み笑ってご飯を食べている彼らのその笑顔はこの先も笑顔でいられるのだろうか。その笑顔を守るために親として何ができるのか、何をすべきなのか。
あれから間もなく1年が経とうとしています。去年の夏頃まではたまにしか見る事のなかったそれと疑われる話も暮れあたりからは毎日のように見るようになりました。もちろん因果関係の証明はできないし全てをそれと決めつけてもいないのだけれど、チェルノブイリのその後を見ればそれが3年後なのか5年後なのか10年後なのかわからないけれど少なからず日本でも同じことは起きうるだろうと思うし、場合によってはチェルノブイリの比ではないかもしれない。そして世の中を観察しているともうすぐ1年という今の段階でもういろいろと手遅れになってる感が強い。
そんな世界でこの先の未来を生きることになってしまった子供たち。
せめて自分の子供だけでも守りたい。全ての親御さんがそう願えば結果として多くの子供が助かります。
社会全体がその方向に向ってくれることを切に願います。