病気腎移植についての論議があちらこちらで聞かれます。
私は医療の専門家ではないですし知識も乏しいので、病気腎移植の是非については自分なりの答えを出せないでいるのですが、私にとって意外だったのは「病気腎移植を望む人が想像していたよりも多い」ということ。そして、そこで思ったのが自分の「目」についてです。
グラフィックデザイナーという「目で見る」ものを創る職業の私にとって、目は非常に重要です。
子供の頃から眼が悪く、小学校高学年でメガネ、高校からはコンタクトレンズを使い、現在の視力は0.01以下という視力矯正ナシでは生活できないような状態ではありますが、矯正で見えるうちは特に支障はありません。
しかしこれが、もしまったく見えない状態になったら仕事は一切できなくなります。
そう考えるとぞっとします。
そして、もし失明したとしたら、いくらお金がかかろうが近眼や老眼だろうが、それで見えるようになるのなら私は眼球(角膜)の移植を希望するでしょう。
(財団法人 日本アイバンク協会)
見えなくても生きているだけマシという意見もあるのでしょうが、目の見えないグラフィックデザイナーは死んだも同じです。
目と腎臓では話が違うよ!と言われるかもしれません。
実際に目が不自由な方々は私が想像するよりもっと切実と思います。
不快に思われた方がいらっしゃいましたらごめんなさい。
でも、腎臓を自分の目に置き変えたら、病気腎移植を希望する方々も同じような気持ちなのではと思ったのです。
医学的な事は私にはわかりませんが、助かる人がいるならば移植を一方的に否定したりせずに、その可能性について議論していただきたいと思います。
医療関係者としての立場から
目の事が話題になっているのでコメントします。
人は外部からの情報の大部分を目から得ていると言われています。目はそれほど重要なものであり、その治療のために眼科医は存在します。緑内障、糖尿病網膜症、加齢黄斑変性などなど、失明の原因になる病気は多いのですが、眼科医はこの直径わずか2cm強の球体である眼球の治療に医師生命をかけているといえるでしょう(マニアックといわれれば否定できません・・・VWと同じ・・・)。
角膜の病気で失明状態になった場合角膜移植が行われる場合がありますが、角膜は腎臓同様ドナー(提供側)が需要と比較して少ないのが現実です。さらに角膜はご遺体からの提供に限られます(生体からの摘出は倫理上許されません)。
さて、本題からそれてしまいましたが、病気腎移植の根底にある問題は、上記のようにドナー腎臓が少ないことがあります。腎不全状態になっても人工透析があるじゃないか、というのは患者さんではないから言えることであり、週2-3回の透析は体力的にかなり厳しいそうです。7年前に亡くなった僕の母親も透析をしていましたが、帰宅すると翌朝まで起き上がれませんでした。そんな患者さんが、たとえ病気の腎臓でもいいから移植して欲しいと願うのは十分理解できます。ただ、今回問題になっているのは以下のことが理由だと思います。報道でしか情報が入らないので、すべてが事実であるとは言い切れませんし、当事者には報道に対して反論があると思います。
1.そもそも取る必要のある腎臓だったのか。移植に使える腎臓なら、治してそのままにできたものもあるのではないかという疑問。
2.臓器売買まがいの行為が行われていたのではないかという疑問。
3.腫瘍腎や肝炎ウイルス陽性者の腎を移植したこと。口頭で同意を得ているとのことだが、同意書は得ていない。
輸血とは異なり、健康な人が生体腎移植のドナーになるのは容易なことではありません。ご遺体からの腎臓提供が少ない今、第3の方法としての病気腎移植の論議を避けることはできません。病気腎移植のガイドラインについて考える時期に来ているということを、多くの人に認識させたという意味で、今回の騒動は意義があったといえるのではないでしょうか。
貴重なご意見、ありがとうございます
その後、某臓器移植推進団体の掲示板を見たのですが、移植に対して肯定・否定・疑問・問題提起、様々な意見が書き込まれていて、非常に考えさせられました。
ただ、考えれば考えるほど言葉が出なくなってしまいますねー。
一応、ヨメさんには臓器提供意思表示の了解はもらいました。