女性蔑視とも取れる発言で世界中から批判を浴びていた東京オリンピック・パラリンピック組織委員会会長の森喜朗氏。そうなるだろうと思っていた通り辞任することになりました。
正直、辞任表明も遅いですよね。発言撤回・謝罪をしたあの会見の時点でも森さんはコトの重大さをわかってなかったし、形だけ謝ればすぐみんな忘れるとでも思ってたんでしょう。実際あの会見で謝罪する気持ちを感じた人は皆無だっただろうし、自分が悪いだなんて微塵も思ってないんだろうなというのがストレートに伝わってきました。
結局、問題の本質がわかってないんでしょう。それは森さんもそうだし、廻りの人たちも。コロナ過で五輪開催への否定的な意見が増えている現状で、性差別発言なんかしたらどうなるか、普通の感覚なら言われるまでもなくわかっていること。ついうっかり口が滑るということもあるでしょうけど、そこを譲歩したとしてもさすがにあの発言はマズいなって廻りの人たちも気付くでしょうに。せめてその場で撤回してればまだよかったものを、乗り切れるレベルだと思ってしまったところが森さんや取り巻きの普段の感覚だったということ。結局いつまでも問題の本質を理解できないまま批判が拡大して大炎上。最悪なところまで落ちての辞任となりました。
そして、後任となる方の名前も出てきてますが、こんな重大な事態を招いたトップの交代が何の会議も経ずに辞める人の一存で決められているのを見せられると、ここまできてもまだわかってないんだって閉口してしまいます。森さんが男性で高齢だったことが本質ではないにしても、対外的に変化をアピールするならここは少なくとも世代交代&女性を据えるという発想も出てくるんじゃないかと思うし、後任の方も森さんに対し「お気の毒に」とやはり本質を理解しておらず、その上まだ森さんを組織内に残そうって言うんですから、これでは看板架け替えただけで何も変わったことにはなりません・・・と、ここまで書いてた段階で後任人事は白紙になったとの一報。さすがにこの人事には異を唱える人がいたというのはせめてもの救いか。逆に言えばこのまま進めていたら火に油だったことは明白ということですね。
で、今回の件は森さん一人の問題ではなく、組織を動かしている人たちの中身に根ざした「おごり」のようなものが問題なんじゃないかと。
失言を失言と認識できない、自分は何も悪くない、謝ればいいんでしょと逆ギレ、時間が経てば何もなかったことにできる、等々・・・。オリンピックに限らず、この10年くらいずっと見せられてきたシーン。
ボランティアが辞退したらまた募集すればいいという二階幹事長。
自粛要請中に飲み歩いて離党はしたけど辞任はしない自民党議員3名。
逮捕・起訴されても辞職せず歳費をもらい続けた河井案里議員。
それぞれ別の案件でも、根っこにある本質って同じような気がします。
今のコロナ対応でもそうですよね。困ってる国民全てを助けるという大前提ではなく、自分に近いお友だちやその企業、献金してくれる団体など、見ている先がズレてるように思えてなりません。
つまり、トップの顔を変えることではなく、根っこにあるベースとなってる価値観をアップデートしない限り、問題は解決しないということ。
昔はそれで通用していたことも、時代が変われば価値観も変わる。私自身も価値観の変化に戸惑うことはあるけれど、昔の価値観では見えていなかった人の悲しみや差別の苦しみなど、見えてきたからこそ自分自身も変わっていかなきゃと思うことも多々あるわけですよ。そして、人の上に立つ人ほどそういう価値観の変化に敏感になって、弱者への心配りができないといけないわけです。
世界中から注目を集めてしまった今回の件、組織と一緒に私たちもいい方向に変わっていかなければ。
そして、あと1ヵ月後には東日本大震災から10年という節目を迎えます。復興五輪と言われていた割に、オリンピックが被災地復興に役立ったかと言えば正直疑問。今でもまだ仮設に暮らしていたり、家族が見つかっていなかったり、10年前からあまり進めていない人も多いと聞きます。国も私たちも被災地をちゃんと見ていたのか。それこそ価値観が大きく変わることになったあの震災を経てもまだ古い価値観で的外れな復興策を続けていないか。こっちも改めて見直してみる必要があるのかもしれません。