昨日は長崎の原爆の日でした。
平和祈念式典で長崎市長や被爆者代表の方が安保法案への懸念を示し、やはり平和を願う人たちにとって安保法案は不安を感じるものだとあらためて思いました。
一方、安部総理は広島で非核三原則に触れなかったことが非難され、長崎では「非核三原則を堅持する」とは言ったものの、多くの方々には上っ面だけの言葉にしか聞こえなかったのではないでしょうか。
広島・長崎での甚大な被害、そして70年経った今でも続く被爆者の苦しみを思えば非核三原則など当り前のことで、世界で唯一の被爆国である日本はこれからも先頭に立って核廃絶を世界に訴えていくのが使命であることはこの先も変わりません。
昨日はテレビ朝日の「ザ・スクープスペシャル終戦70年特別企画」を見ました。
そこで紹介されていたのがトルーマン大統領の孫・ダニエル氏。トルーマンはルーズベルトの死を受けて就任したアメリカ第33代大統領、広島と長崎への原爆投下を決定した人物です。
日本にとっては憎むべき相手とも言えるトルーマン。しかしアメリカでは今でも原爆投下は正しかったとする人が多く、トルーマンの評価も概ね高いそうです。孫のダニエル氏もかつては祖父の決断・原爆投下は偉大なことと信じていたそうですが、大人になってから、原爆による黒い雨で被爆し白血病で亡くなった少女を綴った本に出会ったことで考えを変え、今では核廃絶のために活動をしているそうです。
「被爆者の声を世界に届け、平和を訴えるのが私の使命だ」
ダニエル氏は来日して被爆者とも面会しています。祖父の決断によって起きた悲劇を思えば被爆者の方に殴られても仕方がないという思いだったそうですが、被爆者の皆さんはダニエル氏を責めるどころか、ダニエル氏だからこそ伝えられるメッセージがあると握手を交わし、彼の活動を応援しています。
家族や友人を無差別に殺され、故郷を焼け野原にされ、自身も長い苦しみに陥れられた被爆者にとって、トルーマンの罪をダニエル氏に問うのは筋違いだったとしても、トルーマン一族を、更にはアメリカをあの時の広島・長崎と同じように爆風と熱風の地獄に送ってやりたいと思ったとしてもムリはないかもしれません。
しかし、被爆者が願うのはアメリカへの復讐ではなく、二度と同じ過ちを繰り返してほしくない、二度と核兵器が使われることがないようにという平和への思い。
目頭が熱くなりました。
近年、原爆投下に関する様々な事情がわかってきました。
「原爆は戦争を終結させるために必要だった。原爆投下によって戦争を早期に終わらせることでこれ以上の犠牲者が出ることを防いだ」
アメリカでの大半の認識はこうで、日本でもこのように聞いた方が多いと思います。
そのため、今でもアメリカでは原爆投下は正当化され、罪に問われることも罪悪感を感じることもなく、アメリカ国内で被爆展などしようものなら大反対に合うそうです。
しかし実際には、人的被害の及ばない場所に原爆を投下すればそれだけで戦争継続の意思を萎えさせるだけの破壊力を誇示できたのに二箇所にウラン型とプルトニウム型の二種類の原爆を投下したのは破壊力の差や被害の規模・影響などを調べるための実験的意味合いが強かったこと、多額の予算を注ぎ込んだ原爆開発をアメリカ国内で正当化するためであったこと、原爆投下を実行するために日本の降伏を遅らせる工作が行われたこと、戦争終結後の覇権をソ連より有利に進めたい思惑があったことなど、本来の日本への攻撃という目的とは違う裏事情があったことがわかってきています。
これまで原爆投下は正しかったと思っていたアメリカも、これらの真実を知れば自分たちの行動が過ちだったと気付くかもしれないし、広島・長崎で起きた惨状に目を向ければ核廃絶への思いを持ってくれるかもしれない。
そのキーマンになるのが原爆投下を決定したトルーマン大統領の孫、ダニエル氏。
広島・長崎の被爆者の皆さんはダニエル氏に想いを託している。
もちろん我々日本人こそその想いを一番強く持たなければいけません。
安部総理のように上っ面の軽い言葉を並べるのではなく、心から。