邦人二人が殺害されるという最悪の結果となった人質事件。
今でも「殺害されたのは危険な地域に自ら行った本人たちの自己責任」という声が後を絶ちません。
紛争状態にある地域に行くことは彼ら自身も拘束あるいは殺害される可能性があるということは恐らく認識していただろうし、それをわかった上で行った結果なのだから言葉通り自己責任と言われれば否定はできません。
しかし、そういう声を私が目にする媒体が主に文字であるからなのか、何となく言葉自体が軽々しいと言うか、非常に冷たい印象が拭えません。
この時期になると毎年のように雪山での遭難事故が起きます。今シーズンも既に死者が出てるし、最近はバックカントリーというスキー場の管理されていないコース外を滑って遭難するケースも多々発生しています。
そういうニュースを見る度に「どうしてこの人たちはわざわざそんな危険な雪山に行くのか」と私はいつも思います。
充分な装備を持ち、そのエリアを熟知し、長年の経験を積んだ方が、更に万が一のトラブルの際にも対処できるだけのスキルを持っていれば無事に下山できるのだろうけど、事故に会う方はたいていがそうでない方々。バックカントリーに入っていく人はとても軽い気持ちで大自然に飛び込んで行きます。
よく考えればどれだけの危険があるのかわかること。でも安易に行動して遭難する。
これ、正に自己責任ですよね。
紛争状態のISIL支配地域と、何が起こるかわからない雪山。まったく違うようでいて命の危険があるという点では同じです。
じゃあだからと言って雪山で遭難した人に対して湯川・後藤両氏のように冷たく「自己責任」で片付けるのでしょうか。遭難者を救助する人たちも事故に巻き込まれる危険が高いのだから、人に迷惑かけるくらいならその場で「自決してほしい」とあの某タレントさんは切り捨てるのでしょうか。
多くの人は救助される事を願うだろうし、助けを求める方の写真を不謹慎なコラージュに加工するなんてことはしないし、ましてや「死んでくれ」なんて思わないでしょう。
私には人質事件と雪山遭難の違いがイマイチわかりません。
人質事件は自分の納めた税金から身代金を取られるから?
自分たちがテロの標的になるのは迷惑だから?
誰かが雪山で遭難しても自分にはまったく関係ないことだから?
今回の人質事件でまた集団的自衛権や自衛隊の海外派遣、憲法改正などの話が出ています。
邦人を見殺しにし、国民のISILへの憎悪を掻き立て、テロには断じて屈しないと強弁する安部総理の目にはこの日本がアメリカと一緒に軍事攻撃するシーンが思い描かれているのかもしれません。
仮にそうなった時、自民党に投票した方々は「自民を選んだ自己責任」と銃を持って戦地に行き、テロリストと戦うのでしょうか。
私は、自分の子どもを戦争で殺されたくないし、誰かを殺してほしくもない。選挙権のない子どもにそれを強いるのは親の自己責任ではなく無責任だと思うので、日本の武力行使には断固反対します。
人質事件と雪山遭難の違い
人質事件→責めるべきは、国際ルール、モラルを無視し、独り善がりな行為を続けるISIL
雪山遭難→責めるべきは、自分の実力を過信し、バックカントリーを滑った本人
と私は考えます。
一番悪いのはISILなのは当然として、その上で「気の毒だけど自己責任」くらいならまだわかるのですが、「死んで当然」とか、中には某タレントさんと同じく「捕まった時点で自決すべき」という意見がネットに溢れていて、そのあまりの多さにISILとは別の恐ろしさを感じてます。