「国が責任を」という無責任

避難計画がいる発電なんてなぜ必要?

鹿児島県が同意=川内再稼働、年明け以降に―地元手続き完了(時事通信 11月7日(金)14時36分配信)

鹿児島県の伊藤祐一郎知事は7日午後、九州電力川内原発(同県薩摩川内市)について「原発再稼働を進める政府の方針を理解する」と述べ、再稼働に同意する考えを表明した。県議会も同日の本会議で早期の再稼働を求める陳情を採択。薩摩川内市議会と岩切秀雄市長は既に同意を表明しており、地元の同意手続きは完了した。川内原発は再稼働に向け、大きな節目を越えた。

 

先日、鹿児島県を訪問した宮沢経済産業相は「万が一、事故が起こった場合、国が責任を持って対処する」と述べました。

「国が責任を持って対処する」というのは具体的にどういう対処をするのでしょう?

私が思う責任ある対処というのは、速やかに事故を収束させ、一人の被曝もさせず、汚染された地域は事故前の状態に復元、それができない場合には被災者に充分な補償や支援、最低でもこれくらいかなと思うのですが、さてさて福島第一原発事故ではこのような責任ある対処はなされたのでしょうか。

間もなく事故から3年8ヶ月が経とうとしているのに、その気配すら私は感じないのですが。

 

薩摩川内市の岩切市長と市議会、そして鹿児島県の伊藤知事と県議会、この方々は本当に「事故が起きても国の責任」と思っているのでしょうか?自分に責任は及ばないと国が確約してくれたとでも思っているのでしょうか?薩摩川内市と鹿児島県以外では再稼動に反対している自治体もあるのにそれらの声は無視ですか?

この方たちは福島第一原発事故から何も学んでいない。

事故そのものの深刻さはもちろんのこと、その後の国の対応を見ていないわけじゃないでしょう。

事故対策も不充分で、避難計画に至っては白紙状態の自治体も多いというのに、再稼動ありきで物事を進めるのは無責任極まりなく、県政・市制の舵取りをする県議会・市議会に責任がないなんてことは許されることではありません。

伊藤知事や岩切市長は事故が起こった時に被曝覚悟で最前線で指揮を取る決心があるのですか?

 

福島第一原発事故で学んだこと、それは「この国は何の責任も取らないし、その能力もない」ということ。

責任を持って対処するのは食品の汚染基準を引き上げるとか、高線量地域に住民を帰還させるとか、できてもいないのにアンダーコントロールとか、その責任を放棄するような無責任と呼べる責任です。

そしてここで言う「国」とは安部総理のことでもSM大臣のことでもありません。SM大臣は遠からず辞任するかもしれないし、安部政権だってこの先10年20年と続くわけではありません。結局誰も個人として責任を負うものではなく、電力会社は国に頼るばかりで、最後は我々国民がその責任を負うのです。

そうなる可能性がある原発の再稼動を、立地自治体だけで決めていいものでしょうか。

 

この前、ハワイのキラウエア火山から流れ出た溶岩流が住宅地にまで達しているというニュースがありました。確かキラウエア火山ってここ何年もずっと噴火し続けていて、観光スポットにもなっている火山ですよね。それくらい危険性の低いキラウエア火山の溶岩が住宅街にまで来ちゃうのは現地の人たちにとって正に想定外で、火砕流のように急激に迫ってくるものではないので住民は避難して犠牲者が出たりはしてませんが、迫り来る溶岩には対処のしようがなく、ニュースで電柱に断熱材を巻いて土を持って倒れないようにするという原始的な対処を見て、ゆっくり流れる溶岩でもそんなことしかできないなら、火砕流を伴う大規模な噴火が起きたらもう成す術はないなとあらためて感じました。

川内原発周辺にも活火山が複数あって、その危険性が指摘されています。噴火の予兆があったら核燃料を運び出すとか言ってるようですが、御嶽山のようにまさかと思うタイミングでの噴火もあるわけだし、キラウエア火山のように溶岩がゆっくり流れ出る噴火であっても道路や送電線がダメージを受ければそれすらままならないわけで、その状況で国はどう責任ある対処ができると言うのでしょうか。

自然も核も人間に完全にコントロールすることは不可能、不可能なものに責任は持てない。

ならばおのずと答えは決まってくると思うのですが。